水曜日のティータイム

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好きなことや日々の雑感などを書いてます。関西在住です。最近はインコと編み物にはまっています。

ハルキストではない私が村上春樹について思うこと


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私はハルキストではない。

正直、なんであんなに人気があるのかわからない。

 

いや、すごい作家だとは思うんです。評価されているのも納得できるんです。

だけど、新刊が出るたびに騒ぎ立てられていることが、なんだか腑に落ちないんですよね。

 

例えばこれが東野圭吾だったら、わかる。誰が読んでもおもしろいし、新しく発売される本もだいたいいつもおもしろい。

ストーリーもわかりやすいし、奇抜な表現もないから万人受けする。映像化されている作品も多いから、普段本を読まない人も手に取りやすい。言うなれば、「にわかファン」が付きやすいと思うのです。

 

逆に村上春樹は「にわかファン」を楽しませるような作風じゃないと思う。

 

「話題になってるから読んでみよー」と軽い気持ちで読むと、「何これ、意味わかんなーい」ってなると思うの。世間が求めるものじゃないっていうか。

 

 

 

村上春樹のよくわからないところ

 

とにかく誰かが勃起している。

 

生娘だった頃の私は本当に意味がわからなかった。今、勃起という文字をキーボードで入力するだけでも恥ずかしくて心がざわついているのに、何故こんなにも登場人物が勃起しなくてはいけないのかがわからない。

 

村上春樹の有名な作品に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」というのがある。

 

その中にこんなシーンがある。

 

そんなことをぼんやりと考えながら梯子を下りていくうちに、雨合羽の下で私のペニスが勃起しはじめるのが感じられた。 やれやれ、と私は思った、どうして選りに選ってこんなところで勃起が始まるんだろう?

村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」より引用

 

どうして勃起するのか聞きたいのはこちらの方である。

ちなみにこのシーンはエロい場面ではなく、何者かに連れ去られたおじいさんを助けに行くための移動のシーンだ。

 

私が女だからよくわからないのかもしれないけど、なぜここでこの描写が必要だったのか。ただ梯子を下りているだけでなぜそんなことになるのか、歩きにくくないのか、あ、歩きにくいって書いてる。じゃあその設定いらなくない?てか、ストーリーが頭に入ってこない!

 

例えば、他の作家の小説で「ぼくは欲望を抑えきれなかった」という一文があるとする。すると読者は、あー、ムラムラしてんだな、そういうことだな、とサラリと想像することができる。

だけど村上春樹はわざわざ「ぼくのペニスは勃起した」と書くのです。やれやれ、ですよ。

 

小説を読んでいるときは、現実世界から離れたいのです。小説の世界に入り込みたいのです。

 

この作品は、一角獣、壁に囲まれた街、主人公から引き離された影、謎の生物「やみくろ」など、ファンタジーがいっぱい詰まったワンダーランドな世界が繰り広げられる冒険活劇です。この不思議な世界観が魅了だと思うのです。

 

それなのに直接的なエロ表現を入れられると、ふっと現実世界に引き戻されてしまうのです。なんていうか、隠れてエロ本を読んでいるような、恥ずかしさでしらけてしまうのです。私がエロに対して邪心を持っているからなのか。

ハルキストは澄んだ心でその表現を受け入れているのだろうか。

 

 

村上春樹の好きなところ

 

無を具現化するような描写力。

 

「恋」について何か書けと言われたら、小説家はどんな表現を使うだろう。

 

太宰治はこう書いている。

 

恋愛とは何か。

曰く、「それは非常に恥かしいものである」と。

その実態が、かくの如きものである以上、とてもそれは恥かしくて、口に出しては言えない言葉であるべき筈なのに、「恋愛」と臆するところ無くはっきりと発音して、きょとんとしている文化女史がその辺にもいたようであった。

ましてや「恋愛至上主義」など、まあなんという破天荒、なんというグロテスク。

「恋愛は神聖なり」なんて飛んでも無い事を言い出して居直ろうとして、まあ、なんという図々しさ。

「神聖」だなんて、もったいない。口が腐りますよ。まあ、どこを押せばそんな音が出るのでしょう。色気違いじゃないかしら。とても、とても、あんな事が、神聖なものですか。

太宰治「チャンス」より引用 

 

直球です。恋愛至上主義なんていう奴はアホであると。口が腐る、と。勃起どころか、恋愛そのものが恥ずかしいものですよ、と。
恋多き太宰治が言うんだから本当におもしろい。

 

 

一方、村上春樹。

 

22歳の春にすみれは初めて恋に落ちた。

広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。

それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片っ端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。

そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。

みごとに記念碑的な恋だった。

 村上春樹「スプートニクの恋人」より引用

 

ものすごくロマンチックな言い回し。太宰治は言うだろう。

口が腐りますよ、と。

 

「恋に落ちた」を表現するのにアンコールワットを破壊するなんて、本当にクレイジーだと思う。

 

だけど、私は「スプートニクの恋人」のこの冒頭の文章が大好きです。

恋をするたびに、この竜巻の表現を読んでは、これほどしっくりくる表現はないと感心してしまう。

 

この本は引越しのたびにBOOKOFFでお金に変えるけど、ふとした時に急に読みたくなって何度も買い戻してしまう。その結果、なぜか家に2冊あります。

 

やっぱりこの本でも勃起してる人がいるのだけど、そんなことを忘れるくらい冒頭の書き出しが好き。流れる様な比喩表現に圧倒されて、読むことをやめられない。もちろん話の内容も好き。

 

なんだかんだ言っても、村上春樹の小説はおもしろい。グイグイと引き込まれる。

 

私が最後に読んだ村上春樹の新刊は「海辺のカフカ」だった。正直、空から魚が降ってくるシーンしか覚えていない。

 

あれからいろんなことがあったし、私も大人になったので、久しぶりに村上春樹を読んでみようかと思う。今ならハルキストになれるかもしれない。